Constellation.s展 その②
2016.08.21
都市のなかの多くのSpaces of commoning(SoC)と考えられる事例研究を通して、私たちはSoCには4つの重要な側面があると考えた。以下、リオデジャネイロと東京の都市研究で取り上げた事例をconstellation.s展での展示内容とともに概説する。
1. 共有される空間
「ファヴェーラ・タバレ・バストスのサッカーフィールド」は、高密度に住居が建てられているファベーラ(スラム)の中にぽっかりと空いたヴォイドであり、そこで住民はブラジルの文化であるサッカーを日常的に楽しんでいる。一般的に、ファベーラをはじめとしたスラム街は、隙間さえあればそこに建物がどんどん建てられ埋めつくされていくが、ここでは住人たちが、自分たちにとって重要な文化であるサッカーをするための場所として尊重し、過密地域のなかにヴォイドとして空間を守り、使っている。ファベーラの中でも数少ない共有の空間として場が存在している。
一方、「鬼子母神の参道」は、木造密集住宅地の中をL字型にくり抜いたように存在する参道空間である。樹齢400年のケヤキ並木がアーケードのように参道を覆い、人々が散歩する憩いの場となっている。この参道は住人や鬼子母神によるケヤキ並木の保存会によって管理がされ、あるときは地域のお祭りが行われ、こどもたちの遊ぶ空間として日常的に様々な人々に使われている。
サッカーフィールドも参道も二つの事例に共通するのは、私有の空間に埋め尽くされているエリアのなかで、そこだけが共有空間として残され、守られ、複数の主体が関わり合うことで集団的活動や実践が実現されているということだ
2. 常に活性化されているという状況
「有楽町自販機酒場」は、電車の走る高架下の飲食店だった場所に、自販機や簡易テーブルが並ぶくぼんだスペースである。スーツを来たサラリーマンや駅を利用する通行人が気軽に立ち寄って、お酒や飲み物を飲んだり、喫煙して過ごす小さなたまり場になっている。夕方になると管理人が現れ、スナックを販売し、バーのように音楽を流しはじめる。その場にいる人々は会話を楽しんだり、外での飲食を楽しんだりすることができる。一般的に、再開発のなかで「市民広場」として計画された空間には人々の姿がみえず、寂しい空き地となっていることが多いが、この空間は常に様々な人によって使われ賑わっている。
「ファベーラ・ビディガルのプラザ」は、リオ・デ・ジャネイロの中心部のエリアと高台にあるファベーラの結節点という特異な場所に位置する開かれた広場である。ここには、キオスクという小さな売店が並び、傾斜の地形での生活をサポートするバイクタクシー乗り場として人々の生活を支える重要な拠点としていつも多くの人々や交通で賑わっている。
この二つの事例に共通するのは、都市の中の特徴的な場所に人々が自発的に活動を展開することで、多くの交流が生まれ、活性化されているということだ。
3. 競合状態にある空間
渋谷の「みやした公園」は、電車の線路沿いの駐車場の上にあるスポーツの公園として、商業地の中のオアシスのような場となっている。一般の人々にとっては都市のなかでスポーツを楽しむことができ、緑も多い豊かな公園として魅力的なスペースとなっている。しかし一方で、公園が改修される前から住み着いていたホームレスの人々にとっては、親しんだ自分たちの場所を奪われてしまったという現実もある。その空間を享受できるようになった人もいれば、別の場所に移動させられた人々もいたわけである。このように、SoCは誰の視点から空間を語るのかということを常に考えなければいけない。あるコミュニティに使われることで、誰かがその場所から排除されるという社会における構造的なジレンマを持っていることを忘れてはいけない。
カルティエ・カリオカ・コンドミニアム」は、リオ・デ・ジャネイロのスラムから人々を守りながら、巨大なコンドミニアムのなかで人々が暮らす場である。巨大な人工地盤の上に高層のマンションが立ち並び、人々は人工地盤の上でプールやスポーツジムなど様々なものをシェアして暮らすが、一方で、周りの地域との関係を完全に遮断している。これもSoCのひとつの姿であり、こうした方法がポジティブな未来の都市像をつくりあげることができるのか、問い直す必要があるのではないだろうか。
4. 場所の文脈に依存する
「上野公園の花見」は駅や建物が周辺にあるなか、上野の森という巨大な公園に多くの人々が集まり、花見という特別な季節の行事を楽しむ空間である。この事例で興味深いのは、ある限られた時期に「花を見ること」を共有するために現象的に場がつくられているということだ。植えられた桜の木に人々が集まり、そこに場が形成される。人々が家族や仕事仲間といった様々な単位の集団ごとにシートを広げ、持ち寄った食事や飲み物を囲むといったポータルな活動を行っていることがわかる。
「カーニバル・スタジアム」では、周辺に広がるファベーラの建物と比べて驚異的なスケールでスタジアムが建っている。特定の時期にしか開催されないサンバカーニバルのためにこれほど巨大な空間が用意され、人々は一年を通して様々な準備をしてカーニバルに臨むという独自の文化がある。この空間にカーニバルの華やかな衣装をまとった人々、カーニバルを囲んでみる多くの聴衆が加わると、外国人の私たちには簡単に想像できないような様々な文化的慣習を共有しながらカーニバルは開催される。
これらの二つの事例からはSoCの現れ方そのものに特有の特徴があり、その場の文化的コンテクストに依存していることがわかる。両方とも固定化された場ではなく、現象的なものであるが、その表れ方にはその国独自の文化や地域性が反映されているということが興味深い。
以上、簡単ではあるがいくつかの事例の紹介を通して、SoCにおける重要な視点をみてきた。実際に目にしたSoCと思われる多数の事例では、人々が都市空間を積極的に活用し、その場所でしかできない活動を生み出していると感じた。都市における公共の空間は、人々が空間に参加し活用することで、与えられた場所をこえて、真に人々の共有の空間として獲得される。人々の実感を伴った活動によって共有されている空間は、人々の個性と地域の独自性が現れる魅力的な都市空間をつくっていくエッセンスになると感じた。